チラ裏85:強さとは?

先日タルコフをプレイしてる際にとある議論があった。

タルコフ未プレイの人もわかる様に簡単に言うと

「努力が必要ない強武器は使うべきじゃない不快だ」

「対戦ゲームに不快も糞もない。強い物は使うべきだ」

少しニュアンスがずれる部分もあるが、簡潔に書くならこういう主張の対立だ。

強武器を使うことに対して何らかの精神的な抵抗があるかどうか。

両者の主張はどちらも正しいといえる。良い悪いの話ではない。

誰が使っても強い武器は面白くもないしそれは所謂バランス崩壊、調整ミスと言える。そんなものは使うべきじゃないという主張は筋が通るし私はこの派閥だ。

だが対戦ゲームで強い物を使って勝つのは勝利への最短ルートであるし、わざわざそれを忌諱するのは非効率という主張ももっともだと言える。

この二つの主張は微妙に違う所を見ている為単純に比べられないが概ね対立するといえる。

気を付けなければならない点はどちらも勝利を目指す事を前提としてる点。ある程度同じ方向を向いている。前者の主張も別に勝ちを捨てるという訳ではない。

後者の主張では勝利至上主義であるが、前者は美しく勝つ事を大事にしている節がある。

勝てば何でもいいのが後者、勝ち方にもこだわりを持つのが前者だ。

私の体感では効率的というかなんというかゲームを娯楽やスポーツではなく、計算問題みたいに考えている人は後者の考え方をする場合が多い様に思う。

これはあくまでも体感である上にふわっとした感覚だが周りの人間の性格などを考慮すると概ねそんな感じだ。

少し悪い言い方をすると後者の考えを持つ人はルールが許すならどんなえげつない行為も厭わないタイプと言える。

重要なのはルールの範囲内に限る部分。別にチートを支持したりしてるわけではないがルールの範囲なら何でもやる。リスキル(リスポーンキル:相手の出現場所で待って出現した瞬間の敵を倒す行為)などの一般に嫌悪される行為もルールの範疇ならやって良いとする考え方と言える。

リスキルも強武器も嫌悪する声がある一方で、もっとも勝てる手段をとらない意味がわからないという声もある。

逆に前者はルールの範囲にあっても自身の信条に合わない行為はしない考え方だが、悪い言い方をすれば勝手な自分ルールでより高い確率で勝てる方法を捨てる変人だ。

私が思うにこの問題の本質は何をもって勝利とするか?という事に尽きる。

ゲームのシステムが勝ちだと言ったら勝利なのか、自身が納得できれば勝利なのか。

もちろんこの考えも後者の考えをする人からすれば「は?いやゲームのシステムが勝ちって言ったら勝ちだしそれ以外なんてなくね?」って思うだろう。

騎士道精神とか言えばそういった人たちにも伝わるだろうか。

正々堂々ぶつかってやましい事一つなく正しく美しく勝つことが最も大事と思っているって話で、ゲーム画面に勝利って書かれる事は=勝利ではなく≒勝利みたいな感覚なのだ。

勝って当たり前の武器やキャラを使って勝ってもそれはその武器等の性能の勝利であって、自分の勝利ではない。

強い武器が勝つのは当たり前であってその勝利に意味を感じない。

自分の強さに疑念が残る勝利は自分の勝利ではない。

極端な例えをするとグーとチョキしかないじゃんけんがあったとして、グーを出して勝って面白いか?って話。

これは結構語弊がある例えなのは承知の上だが、勝って当たり前の武器やキャラというのは実質的にそれを使わない人(チョキ)は負け、それを使った人(グー)は勝利って事になる。

それって相手もグーを出して来たら永遠に相子になってクソだし、勝っても当然の結果だし何にも面白くないよねっていう考えだ。

「強い武器を互いに使っている場合には武器性能が同じなんだから、それ以外の面で両者の力量差がでるのでその論理は通用しない」って多分言われるんだろうが、それってつまり全員同じ装備で同じ立ち回りになるってことでしょ?

それ面白い?もはや作業の様に見えてくる

おそらく「それでも良いじゃん。俺は面白いよ?」って返事が聞こえてきそう。というかこの返事実際に聞いたことある。

究極的に言うと身勝手のなせる業と私は考える。自分本位であるから全員が同じ事したらつまらなくなるとしても、でも自分はやるよ?っていう思考が根底にある。

そこに「ゲームルールが許してる」とか「それは調整が悪いんだから運営の問題」とか適当な言い訳を付けている。

もちろん対戦ゲームには勝利と敗北があって、それを目指すゲームであるのだから下らない事言ってないで最短で最高率で勝利を求めるのが良いだろって意見もわかる。

しかし勝利した時に本当にそれが自分の勝利なのか疑問を持つような物を私は使いたくない。

強い人にキャリーされて勝ってそれを「俺の勝利だ!」なんて自信を持てるほどの厚顔無恥さは持っていない。

武器でもキャラでも同じことだ。

適材適所で使うものをより選別することは必要な事だが、バランスに欠くような物を使って勝ってもなんの喜びもない。

そんなものは偽物の勝利にしか感じないし欲しくもない。

美しく勝つ。これが私の求める勝利であるし、程度の差はあれど前者の主張をする人はこの考えに近い物を持つ為、後者の人と分かり合える時は来ないだろうと思う。

ここまで後者を悪い考えみたいに書いたが、始めに書いた様に良い悪いの話ではなくてどちらもそれぞに筋が通っている。ここに書かれているのはあくまでも私の私見である。

勝つ為に最善を尽くすのは当然なのはわかるし、自分ルールで選択肢を狭める私は愚かかもしれない。しかしそれでも勝利には美しさが必要なのだ。

素朴な疑問なのだが後者の考えを持つ人って小さい頃に友人と遊んでる時も同じだったのだろうか。単純な私の好みとしてはそういう人と遊んでもつまらなそうに思ってしまう。例えば足の遅い友達相手に鬼ごっこやって本気で走って逃げて永遠に鬼が変わらないとか、自分が鬼の時は足の遅い奴を集中して狙うとか平気でやりそうだが、友達減るぞって思う。勝率は高いだろうけど。

 

 

投稿者:

しがない戦車兵

しがない戦車兵

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