Escape From Tarkov:TwitchDROPSの受け取り方「EFT」

6/11~6/20もうちょっと長い(モスクワ時間?)でTwitchDropsを開催している。
EFT 公式サイトのニュースページ→URL

 

もう終ったイベント訂正:まだ終ってなかった)の記事書くなという話ではあるが、次回もある可能性が十分あり、まだ仕組みを理解してない人の為に書いておく。
※情報の正確性は保証しません。

先に書いておくが、公式サイトに手順は記載されている。ただし英語

TwitchDrops有効化の手順

・TwitchとEFTのリンク(連携)

EFTのサイトへ行き、ログインする。
ログインしたページの右側に「LINK TWITCH ACCOUNT」がある。
これをクリックしてTwitchとの連携を行なう。
正しく完了できれば「LINK TWITCH ACCOUNT」が「TWITCH ACCOUNT IS LINKED」の表示に変わる。

まず、ここまでが第一段階

・TwitchDropsが有効化されている配信を観る

アカウントの連携が出来たら、次はTwitchDropsが有効化されている配信を観る。
どのサイトが対象なのかは、EFT 公式サイトのニュースページ→URLをみるか、直接配信を確認する必要がある。

大抵の場合、配信タイトルに[ DROPS ENABLED ]と言った文言を配信者が書いているのでそれを頼りに探すと良い。

ただし、書いてあっても有効でない場合が時折ある。
でも安心して欲しいTwitchはいつ頃からか分からないが、Dropsが有効な配信では

Dropsが有効になりました!特典をゲットするために視聴しましょう。特典は1度に1つの配信でしか獲得できません。」

↑この表示が配信タイトルの直ぐ下辺りに表示されるようになった。


※参考画像

この表示が出た状態で視聴し続ければランダムにアイテムが配られる。

 

ここまでが手順の解説だが、一応補足も書いておく
・Twitchを開いているブラウザとEFTにログインしているブラウザは同一のものが良い?(要検証)
・Drops狙いでTwitchを視聴する際には、先にEFT公式サイトにログインをしておくと良い?(要検証)
・Drops対象の配信を複数開いてもドロップ率は上がらない
・配信は複数開かないほうが良い?(体感・要検証)
↑一応複数開いても配信を1つ観ている時と変わらないらしいが、体感だと貰えなくなる様に感じた。
・Dropsが貰えるタイミングはおおよそ、視聴開始3~4時間毎に一回
・貰える中身はランダム。レアな高価アイテムからゴミまで多種多様。更に1回に複数個貰えることも
・配信音声をミュートにしていると貰えない?(要検証)

↓参考用に筆者がDropsでもらえた物の画像を貼っておく。
(Killaヘルメットアイコンのアイテムは少し前のDropsで貰ったもの。今回のDropsはそれぞれアイテムがぱっと見で分かる様になっていた。)

見て分かる様に高価なアイテムもあればゴミもある。

全体的にかなり美味しいと言える。特に武器や弾薬は消耗品なのでタダでもらえるのは嬉しい。

ただし、Dropsで貰ったアイテムはレイドマークが付かない為、フリーマーケットで売ることが出来ない(武器等除く)※詳しくはフリマとレイドマークについて各自調べて欲しい。

因みに筆者はもっぱら配信の視聴ばかりでレベル上げしておらず、フリマがまだ使えない為検証していない。(要検証)

上記の画像を見て「めっちゃ貰えるじゃん!」と思ったそこのあなた。気をつけて欲しい

8日間ずっと配信付けっぱなし(24時間×8日)にしてこの数のアイテムなので、普通の視聴時間では恐らく数回しかもらえないだろうと思う。

上にも書いたが大体3~4時間に一回のペースなので、長時間配信しているチャンネルをひらっきぱなしにしないとこんなに貰えない。

ただ放置するのではなく、こまめに配信をチェックして、配信が終了したら次のDropsが有効になっているチャンネルへ渡り歩く必要がある。

更にEFTでTwitchDropsが有効になる対象の日本人配信者は非常に少なく、大半が外人配信者。英語力が無い場合、言葉が分からなくても映像で楽しめる人でないと単純にDropsを貰うだけの作業になる。

また配信の音をミュートにすると貰えない様な感じ(あくまでも体感・要検証)がするので、付けっぱなしで寝る時などは、配信はミュートにせずPCのスピーカーの電源を切って実質的にミュートしている。

 

余談だがDropsでアイテムを一杯貰ったのは良いが、スタッシュのスペースが足りなくて困っている。
コレを読む読者の皆さんはスタッシュのスペース確保も忘れずに。

Dropsで貰ったアイテムはEFTゲーム内のメッセージから受け取れる。受け取る前にスタッシュに場所を確保しよう。

 

チラ裏63:人の気持ち

「人の気持ち」とは

もっと正確にいうなら「他人の気持ち」

他人の気持ちって難しい。

そもそも気持ちってなんだよって話。

色々な人がいて、色々な考えがある。

1つ1つが完全なオンリーワンかどうかは知らないけど、かなりのバリエーションがあると思う。

気持ちは人それぞれ、考え方それぞれの違いでどんな風にだって変化する。

気持ちの差はどこで生まれるのか

生い立ち?先天性?宗教?学歴?

考えてる事が抽象的過ぎて自分でも何の話か分からん。

ただ漠然と思った。

人の気持ちって難しいよねって。

自分には当たり前でも、他人には酷く特殊かもしれない。

自分には非常識でも、その人には当たり前かもしれない。

自己と他者の気持ちの発生理由、発生方法は常に違うし、同じでもある。

全く同じ境遇を辿った人間なら、全く同じ「気持ち」を共有できるのだろうか。

不可能だから実験のやりようもないが。

快感や喜びの共有は出来なくても実はあまり困らない。

不快な感情の共有が一番大事だ。

共に喜べなくても、不快に思うことが一致していれば、人は多分争わないのかもしれないと。

でも実際は喜びの共有こそ簡単で、不快の共有は難しい。

いや、喜びそのものに、もしかしたら不快が潜んでいるのかも。

例えば、何かしらの主張をする時、その反対意見を倒すときに一種の快感を得る事がある。

それは倒したことへの快楽か、或いは自分の意見が通ったことへの快楽か、それはわからない。

しかしながら何かしらの快楽を感じていて、その時倒れた相手は不快感をきっと持っている。

いや、これはおかしいか。

そもそも議論は倒す倒されるではない。勝つ負けるの概念ではまともな議論など出来ない。

いやしかし、主張=議論とは限らないのだからこれはこれでいいのか。

とにかく、何でもいいが誰かの快楽が、誰かの不快になっている事は往々にして良くあることだと。

どうでもいいが、快楽の対義語って不快で良いのか不安に思った。

不快の定義をしたいわけでもないが、「人の気持ちを知る」とは相手の不快がどの様な条件で起こるのかを知ることにある様に思う。

喜びは慮る必要は余りない様に思う。

見れば大体分かるという話でもあるし、そもそも喜びを感じ取れなくても、本人は喜びに包まれているのだから、こちらがそれを感じ取れているかは正直どうでもいい。

しかし不快感はやはり共有、いや共感できた方が人付き合いはやりやすい。

不快感を共感したからと言って、その人の気持ちがわかったかと言われれば、それは少しばかり違う様にも思えるけれど、やはり他人の不快感を敏感に感じ取れる人は人付き合いで有利と言えると思う。

 

 

さて何を思って書き始めたのか、鳥頭ゆえに忘れてしまった。

きっと徹夜明けだから頭がぼんやりとして、不意に言い難い不安に駆られたのかもしれない。

人の気持ちが分からない。自分の永遠の課題だ。

分からないが故に人の気持ちが気になってしょうがない。

どんな心境なのか、どんな感情なのか。

まるで強迫観念だ。

話して居る時も何をして居る時も気になる。

私は結構な無神経な人間だから、自分でも気付かない内に相手を傷つけたり、失望させたりという事をよくやらかす。

もしかするとそういう事を自分で分かっているからこそ、人の気持ちが気になるのかもしれない。

やらかしてからの後悔では遅いと知りつつも、それでもやはり自分が無神経に何かをしたのではないかと気になってしまうからなのか。

こうやってよくよく考えてみると、そもそも自分の気持ちがよく分からないという事がわかった。

わからない事がわかった所で、寝ることにする。

チラ裏62:暇つぶし発見

チラ裏61を書いていて気付いたが、ブログを書くのは1人でも楽しめる、いや”1人で”楽しめる一種の遊びであると気付いた。

果たして本当に遊びかは怪しいが、仕事じゃないのだから多分遊びだろう。

今、ブログと表記したが、そもそもこのサイトはブログなのだろうか。というより、ブログってなんだ?

戦車兵にはブログを書いている人がそこそこいる。

皆WoT関連の事柄をしっかりまとめて有意義な文章を公開している。

集団戦の知識や心構え、或いは過去の戦闘の考察。

マップや戦車の解説。やっておいた方が良い設定等々多岐に渡る。

どれもサイトを訪問する人にとって意味のある内容で、情報サイト的性格が強い。

そういうブログ達を見ながら自分のチラ裏を見ると、「これはブログなのか?」と思ってしまう。

サイトの名前が”戦車兵チラ裏”なのだからブログじゃなくてチラ裏か。

最初から結論は出ていた。

こんなこと記事にするなよって言われるかもしれないが、私はキーボードを叩きながら頭に浮かんだ言葉をほぼそのまま活字に起しているので、どんな酷い内容になろうとも仕方がないのだ。

私の頭の中には、このチラ裏に書かれている文章とそっくりそのままの意味の無い思考が常に流れている。

恐らく暇すぎるが故に脳が力を持て余しているのだろう。

忙しかった時は無秩序で殆ど意味を持たない思考がこんなにも絶えず流れ続けたりはしなかった。

時間が無かった時は、程度の差はあれどそれなりに有意義な事をあれやこれやと思いつき、その度に「時間さえあれば」なんて考えたものだったが、今こんなにも沢山の時間があっても何かしようと思えない。

時間の無い時には時間の必要なものを思いつくが、時間が有るとただただ何もしなくなる。

今から凡そ3年前は非常にやりたい事があった。

やりたい事が複数あって溢れていたわけではなかったけれど、確かに1つやりたい事があった。

時間があればもっと出来たと今でも思っているけれど、多分時間を理由にしているだけで、時間が有っても無くても結果は同じだったと思う。

私は不真面目で気分屋だから時間の問題ではなくて、私の性格の問題だったのだろう。

さてダラダラ書いていたら見事に1時間程の時間を潰せたのでここで終わりにする。

チラ裏61:余りにも暇

タイトルの通りである

暇すぎる。余りにも。

ゲームするとか何かしら有るだろと言われれば、確かに何かやることがあるかも知れない。

しかしだ、恐らく何かやりたい事があるなら暇にはならないはず。

しかし私は確かに今「暇」なのだ。

沢山のゲームも、動画も、配信も、本もどれも満足するに至らない。

「今俺はコレにはまっている!」と言えるものが欲しい。

タルコフは楽しい。しかし正直に言って1人でやるのは気が進まない。

そもそもソロプレイ専用のゲーム以外、私は1人でゲームをするのが嫌いだ。(正確にはソロプレイのゲームですら誰かと話ながら、交代でプレイするくらいが好きだ)

遊びと言うのは複数人でするものだと私は思っている。

小さい頃から1人で遊ぶ瞬間がほぼ0だったせいなのかも知れない。

常に友人が回りにいて、常に何かの遊びを彼らとやっていた。

だから1人で遊ぶ状況が面白くない。いや正しくは1人で遊ぶ事が面白くないのではなく、誰かと盛り上がれない事が面白くないのだ。

私の中にある”遊び”とは、誰かとその時々一瞬を共有し、下らない事で盛り上がることを言う。

そういう一瞬、たいしたことのない下らない時間を共有する事こそが私にとっての”遊び”であり、どんな遊具で遊ぶかは余り関係がない。

だから共に遊ぶ仲間がいなければ、どんなに沢山のゲームや玩具が有ろうとも、私はひどく退屈なのだ。