愛鳥との別れ

題の通りである。

9/12 10:30頃

保護して可愛がっていたカラスが他界した。

カラス?と思う人が多いと思う。

あのカラスである。カーカー鳴く黒いあいつである。

野鳥を勝手にかったらいけないのでは?とかいろいろあると思うが、その辺はちゃんと調べているので心配無用。

彼について語ろうと思う。
(”彼”とするが正確には性別はわからない。余談だがオスメスで外見に顕著な差が無い鳥の場合、性別を調べるには血液検査が必要だったりと、獣医でも見分けられなかったりするが私は彼を一種の息子として考えたので”彼”とする)

彼と出会ったのは2021/05/17の事である。

家の前にある松の木の下、雨が降る中で彼は巣から落ちていた。

巣の位置は高く十数mは上にある。巣に戻すことは不可能だった。

初めに彼を見つけたのは父で、朝カラスの雛が落ちてるのを見つけたという話を聞いた私は気になって見に行った。

雨の中茂みにうずくまる彼に近づいて様子をみようとするが、木の上にいる親鳥が威嚇してきて難しい。

親鳥が見捨ててないのなら大丈夫かとも思いつつ、しかしぱっと見た時点でも「自力で立てない、飛べない」事はわかっていたので遠巻きに様子をちょくちょく見に行った。

最終的に親鳥は諦めてしまった。

早朝父が見つけた時点で既に落下しており、夕方になる頃には随分と時間が経っていた。

それだけの時間が経っても自力で動けない彼を親鳥は”もうダメ”と判断した様だった。

私は日も暮れ雨の降る中、彼を保護した。

野鳥保護、というより野生動物の保護はこのあたりが難しい。

親が子を見捨ててない状態で手を出すのは御法度だが大抵の場合はけがをしている為、早めに保護しないと障害が残ったり衰弱死する。

この辺はよく論争の的になるので深くは書かないが、私は半日ほど様子見した上で親が諦めているなら保護してよいと考えている。

保護した時点でまだ幼い彼は私を怖がる様子もなく、すぐに餌をねだってきた。

調べたところカラスの飼育にはドックフードをふやかした物が良いとあり、我が家には丁度飼い犬が居るのでその餌を拝借して与え始めた。

40~45℃程のお湯でふやかし与える。

元気よく餌をねだり勢いよく食べる様は何ともいえず可愛らしい。

私はもとより愛鳥家であるので鳥は皆好きなのだが、カラスがこれほど可愛らしい表情を見せるのは初めて見るもので珍しく、すぐに彼を気に入った。

彼に餌を与え雨で濡れた体をタオルで拭いてやりつつ、私はケガの状態を確認した。

まず羽に大きな異常は見られない。飛べないのは単純に幼すぎるからである。

問題は足だ。

力が入っておらず自力で起きていることができない。

特に左足の力が弱く踏ん張れない為、座っている態勢を維持できず左に倒れてしまう。

それ以外の健康上の問題はとりあえずなかった。食欲〇鳴き声〇

私は落下時に足を怪我したと考え動物病院の診察を受けようと思った。

しかし残念ながらカラスやハトは害獣区分であり、治療してくれるところを近場で見つけられなかった。

しばらく周辺地域で見てくれるところを探すも結局見つけられなかった。

雛を車に乗せて長距離移動させるのはリスクがあり、ある程度の距離にあればと思ったがダメだったので私は彼の治癒能力に期待する他なかった。

最終的に足は治らなかった。骨折はぱっと見ではみられなかったが打撲や関節が外れていた事などが考えられる。

また、そもそも先天的に立てない可能性も考えられた。まだ羽ばたく事もない雛が自発的な要因で落ちるとは考えられず、親鳥が障害のある子を間引いた可能性があった。(余談だが彼には兄弟が居り、そちらは現在元気に育って飛んでいるのを見かける)

しかしそれ以外は至って元気であり、頻繁に餌を要求してくるので私は30分おきに餌をあげるのに苦労した。

一週間もするころには1時間おきになり少し楽になった。

直近の課題は彼の姿勢を正しい状態にすることであり、始めはタオルを丸めた物を横に置いてそれに寄り掛かる様にしてバランスを取らせようとした。

一時的にはうまく行くものの、一晩経つとずれて横倒しになっている事が多かった。

そこから最後の時を迎える時までの4ヶ月間、姿勢が永遠の課題となった。

様子を見始めて数日、親から名付ける様に提案があった。

私は命名のセンスがなく、野生生物を保護している時に名前を付けるのは少しどうかという考えもあり乗り気でなかった。

しかし今後自力で立てない可能性が高いのは言うまでもない状態であり、立てなければ飛ぶことも当然難しい。野生に帰る事は殆ど不可能なのをなんとなく感じた私は最後の時まで面倒をみるのなら名前を付けようと考える様になった。

とにかく命名センスに欠ける私は、割り切ってど直球の黒い鳥からのブラックバードという言葉をまず思いついた。

そしてブラックバードといえば偵察機。ここでミリオタ部分が登場

Lockheed Corporation SR-71 Blackbird

3,529.56km/hという有人実用ジェット機最速の記録を持つ高高度偵察機の名前だ。

実際にはスカンクワークスという名前がブラックバードとセットで出てくるものだが何となく省いた。

彼の名前はLockheed Corporation SR-71 Blackbirdを正式な名前とし、愛称をロッキーとした。さりげなく飛べるようになる様に願いを込めた。

そこからはロッキーと呼びかけながら餌をやったり巣の掃除をした。

自立できない彼はフンが体についてしまう事がよくある為、頻繁に掃除して巣を綺麗に保つ努力が欠かせなかった。

当然雛は自力では餌を食べれないので挿し餌が必須。

毎日朝から彼を寝かせる夜まで私の生活のすべては彼を中心に進行した。

4ヶ月の間に色々あった。

ダニが付いてしまったので薬剤を買ってきて使ったり、外で羽ばたきの練習をさせていたら他のカラスに見つかって警戒する鳴き声で騒がれたりした。

ただ彼は他のカラスの声は意に介さずきょとっとした顔で私を見ている。

周りのカラスに変な誤解をされて攻撃されても困るのでそういう時は早々に家に退散した。

またある時は窓辺に彼の親鳥が現れた事もあった。

一度は見捨てたものの、やはりわが子は気になる様で窓越しに滅茶苦茶騒がれた事もあった。

しかしそんな時も彼は私の方を見ていて親鳥を振り返る様子はなかった。

私はそういった事があるたびに彼を最後まで責任をもって育てる義務があるのだと確認した。

毎日続く無限の子育てに辟易することもあった。

出かける時も彼の様子が心配で結局すぐに家に帰った。

夜中に彼の鳴き声がすると目がすぐに覚めて様子を見に行ったりした。

祖母の法事で東京に行く必要があった時も彼を一日放置することはしたくなく、出席に消極的な態度を取った事で親と少し喧嘩したりもした。

外で自由に飛ぶカラスを見たとき、彼にはそれが出来ないであろう事を思い、悩んだ。

自力で何をすることもできない彼の将来を悩んだ。

彼に手がかかり過ぎて自分の事が出来ずに苛立ったりもした。

何故か餌を食べなくなり何が原因かわからず悩んだ。

新しい食材を与えた後に元気がない時には、まずい物を与えたのかと焦った。

彼は飛ぶことはおろか、歩くことも座っている事も難しかったがそれでも元気に私をクワァーと呼んだ。

私は自分のしてやれることの限界に悩んだ。

彼は幸せだっただろうか。

窓辺でじっとして居るだけの生活は退屈ではなかっただろうか

私が居なければ身動きのできない生活は辛くなかっただろうか。

私は彼に十分な世話をできていたのだろうか

彼は私に拾われてよかったのだろうか

彼は私に完全な信頼をおいてくれていた。

普通鳥というのはあまりいきなり触られるのを嫌がったりするし、人懐っこい個体でも嫌なことをされれば怒るものだ。

でも私が彼を手で持って弄繰り回したり、ひっくり返して仰向けにして足の様子を見たりしても彼は一切拒否しなかった。

ただきょとっとした目で私を見ているのだ。

彼にとって私は親だったのは言うまでもなく、私にとっても彼は飼っている鳥ペットなどではなく子であった。

今までハムスターやクワガタ、金魚、犬、インコと我が家ではさまざまなペットがいた、現在飼っている犬とインコ×2も合わせて割と動物と触れ合ってきたと思う。

その中でも彼は違っていた。彼と私の間の信頼感はペットと飼い主ではなかった。

彼は本当に私を頼りにしており、だからこそ私がとるいかなる行動にも拒否することがなかった。

そんな彼の信頼を感じるからこそ、私も彼を子として感じた。

私が呼びかけると「カー」と返してくる。

私が手で頭や首をかいてやると目を細めて気持ちよさそうにしていた。

足が使えない彼は自分で羽繕いができない。

私が手で羽を整えたり痒そうなところをかいてやったりして彼と過ごした。

 

短い事は予想できていた。1年持つかわからないという考えが常に頭にあった。

毎朝彼の居る段ボールの巣をのぞき込むのが怖かった。

毎朝目が覚めると彼が既に冷たくなっている可能性が頭をよぎった。

20年と言われるハシボソガラスの寿命を考えれば本当に短いものになる事を予想はできていた。

でもその時が来た時わたしはただただひたすらに無力感と喪失感と強い悲しみに襲われた。

今もそうだ。「彼は私に拾われて良かったのか?」

答えはない。冷たい雨の中雑草の中で衰弱死することが幸せとは思えない。

でも4ヶ月間立つことも飛ぶこともできなかった生活は彼にとってなんだったのかを考えずにはいられない。

私はベストを尽くせていない。

短い事をわかっていたのにベストを尽くさなかったという事実が私に迫る。

もっともっともっと彼と共に居る時間をつくるべきだったと。

わたしにはたくさんの娯楽があるが、彼には私が手にもって羽ばたかせたり羽繕いしてあげている時しかなかったのだと。

分かっていた後悔だ。

もっと彼のそばに居るべきだとわかっていたが毎日世話するのは大変だった。

どんな時でも彼の様子が気になってしまって頭も疲れていた。

母は私に「十分大切に面倒みてたよ」と言ってくれたが彼の人生は半年も無かったわけだ、私の注いだ愛情が十分であったと私は思うことができない。

彼が呼吸をやめて鼓動が止まったのを掌で感じた時、私は彼に謝罪した。

もっとあったはずだと謝った。

 

ただひたすらに考える。

彼は幸せだったろうか。私に拾われて良かったのだろうか。と

せめて死後の世界では自由に羽ばたき、大空を舞い、好きなところへ行き好きな物を食べ、元気に歩き回っている事を切に願う

ロッキー、君から多くのものをもらった。ありがとう。

涙はしばらく止まりそうにもない。でもこの止まらない涙は私が彼を本当に大切に思っていたことの証明なのだと自らを慰める。

9/13 0:10頃 最後の一声を聴く
寝て居たらロッキーの声で「カァー!」と元気な声が聞こえて目が覚めた。私を呼ぶときの声である。
彼はもう居ない。当然私の気のせいである。
しかしきっとこれは別れの挨拶だったのだと記憶しておく。